大規模な外部ショックが ETH 建て流動性を揺さぶりました。stETH の価格は変動し、マーケットデプスのコストも上昇しましたが、中核となるステーキング資産は損なわれず、市場は機能を維持しました。
はじめに
Lido は、ユーザーが Lido プロトコルを通じてステーキングした ETHを示すトークンとして stETH を発行するプロトコルです。さらに、この残高変動を価格側に織り込んで DeFi 上で扱いやすくしたものが wstETH(wrapped stETH)です。両者は同じステーキング持分を表しており、レンディングや DEX での担保・取引に広く使われています。
2026 年 4 月、リステーキングを手がける KelpDAO で、クロスチェーンのブリッジ経路を悪用する事象が起きました。本記事では、この事象の最中に stETH と wstETH のセカンダリー市場(発行体を介さず参加者同士が売買する流通市場)の価格と流動性がどう動いたかを、考察します。
DeFi プロトコルの真価は、平穏な市場で流動性がうまく機能することではなく、ストレス下でその実力を証明できるかどうかにあります。2026年4月の KelpDAO rsETH エクスプロイトは、リステーキングおよび ETH 建てのレンディング市場にとって重大な外部ショックでした。そうした環境下で stETH は、イーサリアムの流動性レイヤーに求められる最も重要な特性、すなわち透明性のある価格形成、厚みのあるセカンダリー市場、妥当な価格水準への速やかな回復、そして DeFi 全体でリスク許容度が引き締まるなかでも約定の継続および 取引執行が継続したことを示しました。
補足: 本記事が扱う内容
本記事は KelpDAO 自体や、そこに資金を置いていたユーザーの損益を評価するものではありません。論点は「stETH と wstETH は侵害された資産経路ではなく、外部ショック下でも市場データ上、一定のレジリエンスを示した」ということに限定しています。
何が起きたのか — 範囲が明確に限定された外部ショック
2026 年 4 月 18 日、攻撃者は KelpDAO の rsETH(KelpDAO が発行するリステーキングトークン)について、LayerZero(チェーン間でメッセージを受け渡すクロスチェーン基盤)を用いたブリッジ経路を悪用しました。公開された事後分析では、これはクロスチェーンでの検証処理の不備として説明されています。具体的には、送出元チェーン側で対応する焼却(バーン)が行われないまま、約 116,500 rsETH(およそ 2 億 9,200 万ドル相当)が対応する送出元チェーン側の焼却なしにイーサリアム上で解放された、というものです。
ストレスが直接波及したのは、リステーキング担保と、それを受け入れるレンディング市場でした。Lido のコアステーキングや、stETH・wstETH の資産経路そのものが侵害されたわけではありません。この境界は、市場の反応を読むうえで重要です。参加者は事象後にリスクを再評価しましたが、特定のクロスチェーン・リステーキング資産で起きた不具合と、イーサリアム最大のリキッドステーキングトークンである stETH の流動性とを、切り分けて扱うことができました。
stETH の価格は変動した後、通常水準へ戻った
stETH の保有者やインテグレーターにとっての問いは、市場が反応するかどうか(実際に反応しました)ではなく、その反応が秩序立っていたかどうかです。
4 月 18 日から 28 日のストレス期間中、Curve(プールに預けられた資産で自動的に値付けを行う AMM 型の分散型取引所)のメインプールにおける日次 VWAP(Volume Weighted Average Price、出来高加重平均価格)は、stETH あたり約 0.9941 ETH まで下げました。これはパリティに対して約 -59 bps(ベーシスポイント。1 bps は 0.01%)の乖離にあたります。複数の取引所価格を集計した CoinGecko の stETH/ETH 価格も、ほぼ同水準の約 0.9934 まで下げています。
その後、価格は時間をかけて戻りました。5 月 20 日時点で、Curve の VWAP は 0.99980、CoinGecko の集計値は 1.00008 と、いずれもパリティ近傍まで回復しています。乖離の幅は限定的で、回復も観測できる範囲で進みました。(出典: Dune および CoinGecko API)

図1. stETH/ETH の価格と Curve メインプールの TVL。Curve メインプールの VWAP を CoinGecko の集計 stETH/ETH 価格と比較し、下段にプールの残高と TVL を示しています。出典: Dune および CoinGecko API。
補足: 図1の読み方
上段は、主要な Curve stETH:ETH プールの市場価格を CoinGecko の集計 stETH/ETH 価格と比較しています。下段は、Curve プールの ETH と stETH の残高および TVL を示しています。このチャートは、価格の動きと、その価格を支える流動性基盤の双方を示すことを意図しています。
表示価格より「流動性デプス」を見る
表示されている価格は、実際の約定の質が落ちていても安定して見えることがあります。そのため、ストレスの度合いを測るには流動性デプス(ある価格帯で、どれだけの量を実際に約定できるか)のほうが有用な指標になります。ここで使う物差しが、一定額を一度に売却したときに付く価格が中心値からどれだけ離れるかを示すクォートインパクトです。
イーサリアムメインネット上で wstETH を 100 万ドル分まとめて売る、という固定条件のクォートで見ると、236 件の観測における日次クォートインパクトの中央値は -1.6 bps でした。事象前の 30 日間では中央値 -0.1 bps と、ほぼ影響のない水準です。これに対し、10 日間のストレス期間中は中央値が -5.0 bps まで動き、7 日移動平均では -15.9 bps を底としました。
これは約定コストが実際に上昇したことを意味しますが、流動性が消失したと読むべきではありません。リステーキング担保とレンディング市場の利用率に影響を与えた大規模な外部エクスプロイトのもとでも、wstETH/ETH の約定は、測定でき、経路を引け、解釈できる状態を保ちました。

図2. イーサリアムメインネット上での 100 万ドルの固定売り wstETH クォートのクォートインパクト。Dune クエリの全期間にわたる 7 日移動平均で示しています。出典: Lido Dune クエリ 5965996 / 9625248。
補足: チャートの作成方法
図2 は、Lido の Dune 流動性デプスクエリ(dune.com/lido/wsteth-and-steth-depth-on-cow-swap)の 100 万ドル固定売り wstETH クォート系列を、利用可能な全期間の 7 日移動平均で示しています。その他の金額水準は除外しています。
stETH が相対的に底堅かった理由
価格と流動性デプスの両面で stETH が比較的安定していた背景には、いくつかの構造的な要因があります。
- 取引場所の分散:stETH と wstETH の流動性は、単一のプールや経路に依存していません。Curve が中心的な役割を担う一方で、複数の DEX をまたいで最良経路を探すアグリゲーター、提示見積もりで取引する RFQ(Request for Quote)システム、レンディング会場、マーケットメーカー、機関投資家向けのルーティング基盤が、いずれも約定デプスに寄与しています。
- リスク境界の明確性:今回の事象は rsETH のクロスチェーン会計とレンディング担保をめぐるものであり、stETH・wstETH の資産経路に関わるものではありませんでした。参加者がこの違いを区別できたことが、価格の早期正常化につながりました。
- オンチェーンデータの透明性:プール残高、DEX 上の取引、ルーティングのデプス、セカンダリー価格は、いずれもリアルタイムで監視できます。これがアービトラージ(割安・割高を突く裁定取引)を促し、価格をパリティへ引き戻す力として働きます。
- ETH 建ての需要の継続:stETH は DeFi で最も広く使われる ETH ステーキング担保資産の一つであり、保有と交換の双方を支えるインテグレーションが、すでに積み上がっています。
まとめ
KelpDAO の事象が示すのは、流動性は平穏な市場ではなく、ストレス下でこそ評価すべきだ、という点です。4 月の事象において、stETH と wstETH の価格はパリティから一時的に乖離し、約定コストも上昇しました。それでもセカンダリー市場は機能し続け、5 月 20 日時点で、価格はパリティ近傍まで回復しました。
この振る舞いは、厚みのあるセカンダリー市場、透明なオンチェーンでの価格形成、広範なエコシステムとのインテグレーションという、stETH の周囲に積み上がってきた条件の反映です。価格は動き、コストは上がりましたが、コアのステーキング資産が損なわれることなく外部ショックを吸収できたことを、今回のデータは示しています。
補足: 出典およびデータ
wstETH/ETH の流動性デプスは Dune クエリ 5965996 / 9625248、stETH/ETH の価格は Dune クエリ 5596727 および 710202 と CoinGecko API を使用。データ取得日は 2026 年 5 月 20 日。